手のひらサイズの自由
スマホを使い始めて早5年くらいだ。
その前に所謂ガラケーを10年以上使っていたのだけど、
流行に押されるようにして機種変更。
フリック操作にも慣れ、
スマホゲームに手を出し。
課金し爆死することにも慣れた。
でも、もう解約したい。
爆死が死因ではない。決して。
たまにガラケーの
パカパカと開閉する姿
コロッズシッとしたほどよい厚み
キーを押す際のプチプチした感触
などがたまらなく恋しくなるのだ。
あとあのサイズ感もいい。
私、荷物少ない方が好き。
荷物といえば、スマホの便利さこそが、
私にとっては大きな荷物なのだから、特にだ。
いつでもどこでも、マンガを読め、ゲームができ、誰かと話すことができる。
今私は部屋の中でひとりだけど、誰かのフォロワーであり友達でありフレンドとして、コミュニティに絶えず属し続けている。
何をしていてもスマホが震えればそちらを振り向かざるを得ない、そんな強迫観念が確かにある。
スマートフォンは手のひらサイズの癖に、
みっちり詰まった大きな世界をもっているのだ。
これらの感覚はガラケーを使っていた際もあった。
しかし、ガラケー恋しさは決して思い出補正によるものではないと思う。
私はガラケーのあの不便さが恋しいのだ。
「今日は本を家に置いてきちゃったから、暇だなあ、何したらいいのかな」
そんな感覚がなくなって久しい。
私には少しの間でいい、何もしない時間が必要だ。
手のひらサイズの自由、ただ一呼吸つくためだけの時間。
それが恋しくて恋しくてたまらないのだ。
それがなんだかよくわからないガラケー恋しさに繋がっているのではないだろうか。
次に機種変更するならガラケーがいい。
たぶん不便すぎてすぐにスマホが恋しくなるけど。
そしたら今度は2台持ち?
結局、荷物増えるじゃんね。
それでもガラケーが恋しいお年頃なのです。